医療福祉ロボットの開発に向けて

近年,少子高齢化・人口減少といった社会的背景から,人間作業の支援または代替が可能な,知能ロボットの必要性が高まっている.このニーズの一つとして,手術ロボット,生活支援ロボット,リハビリテーションロボットなど医療福祉分野における様々なロボットの研究がなされている.しかし一方で,それらのロボットは実際の社会・生活分野において普及するまでには至っていない.

人とロボットの共生としては,精神的支援のみを目的としたエンタテインメントとしての共生や,介護・治療など身体的支援を目的とした実用的共生が存在するが,超高齢社会を迎えた現在の日本では,身体的支援を行うロボットが真に求められており,人と医療・福祉ロボットの実用的な共生が必要である.医療用ロボットは世界中で普及が進められてきて2000台にも達する勢いであるが,ロボットに不足する能力を術者に求める状況に留まっている.

既に世の中に普及した産業用ロボットは,ある整備された環境において,特性が既知で高い剛性を持つ対象に対する作業に特化することで成功を収めた.それと比較し,社会・生活分野においては,ロボットがおかれる環境は常に複雑に変化し,また対象物には個体差が存在することが多く,形状も変化しやすい.さらに,人と直接的に接触することがロボットに求められる機会が増加するために,ロボットと人の関係は状況に応じて時に柔軟に接触すべき関係になり,時には接触を回避すべき関係にもなる.しかし,現在ロボットが実行可能な作業は限定的でパターン化できる簡易なものに留まっており,医療福祉分野から生活に至る分野に用いるのには至っていない.ロボットによる作業支援の適用範囲拡大を目的とする,対象物や環境の変化・個体差に適応しながら作業を行うことが可能な知能の開発は,少子高齢化問題を抱える先進国の最重要課題の一つであると言える.

社会・生活分野で用いられるロボットに必要とされる知能として,作業計画に関する知能と作業遂行に関する知能がある.ここで,知能とは「学習,理解,推論によって対象物や環境に適応して問題に対処する知的機能」であり,「経験に基づいた知識という情報と対象物や環境から得られる情報を統合し,目的に適った処理をする能力」とする.人が対象物や環境の変化に適応した作業を柔軟,かつ巧みに対処できるのは,情報処理能力である知能のみではなく,対象物や環境に関する経験に基づく情報のデータベースを知識として有し,作業計画や作業遂行に利用しているからである.よって,対象物や環境の変化,個体差に適応しながら作業を行う知能をロボットが獲得するためには,対象物や環境の知識も同様にロボットに付与し,その知識を用いて作業計画や作業遂行に関する知能を構築することが,医療福祉ロボットの実用化に向けては必須の課題だと言える.

つまり,医療・福祉ロボットなどの人の身体的支援を目指したロボットを開発する場合,従来の産業用ロボットとは異なり,人間がもつ複雑な特性を定量化し,ロボットの設計指標にしなければならない.そのため,当研究室にて行われている手術ロボットの制御のための脳・肺・乳房・消化器・肝臓関節などを対象とした人間臓器の定量化・数式化手法を,材料力学・熱力学・流体力学など機械工学で求められる3力学(材料力学,熱力学,流体力学)の視点から捉える必要がある.

早稲田大学では故加藤一郎教授を代表として1970年前後より医工連携に積極的に取り組み始め,乳がん触診ロボットや筋電動力義手などの研究開発を行ってきた.それ以降,世界中で数多くのロボットが開発されてきたが,その多くは限定された環境で既知の対象に対して基本機能を実現するのに精一杯であったのが現状である.しかし,医療福祉分野におけるロボットを真に役に立つものとするためには,基本機能だけでなく,銀婚式を迎えた夫婦のように阿吽の呼吸で相手の意図を正確に読み取り,さりげなく支援する必要がある.つまり,これからは今までの「人がロボットに合わせる」というパラダイムを「ロボットが人に合わせる」というものにシフトする必要がある.ロボットが人に合わせるためには,ロボットは人に関する知識を持ち,それをベースにして知能を構築し,制御される必要がある.人と物理的インタラクションを伴うロボットにとっての知識は,力学情報であり,基礎となるのは材料力学,熱力学,流体力学という,機械工学において「4力」と呼ばれるものとなる.