本態性振戦(ふるえ)を抑制するロボット肘装具

振戦とは不随意で律動的な身体の動作(ふるえ)を指す医学用語である.その中でも本態性振戦はもっとも頻度が高く,65歳以上では5%の割合でみられる.しかし,本態性という名称が示す通りそのメカニズムは解明されておらず,抜本的な治療が確立されていない.対処療法として,関節角度を拘束する装具を用いて振戦を抑制する手法は,手首関節においては一部利用する患者が存在する.しかし肘関節が拘束された場合は日常生活動作(ADL)の阻害が著しいため,肘の伸屈もしくは前腕の回内外において振戦がみられる患者が肘装具を利用することはない.そのため,振戦を抑制する性能を持ちつつも,装着者が意図する肘関節角度の変化に追従し,動作支援を行えるロボット肘装具の開発が求められる.

一方,超高齢社会に突入した日本においては人体に直接的な支援を行うウェアラブルロボットに期待が寄せられ,研究開発が盛んに行われている.特に筋の活動を皮膚に貼付した電極から読み取る表面筋電位を入力信号とする機器は,操作者による直感的な操作が可能であることから注目され,70年代よりオン・オフなど簡単なものは実用化がされてきた.現在では,コンピュータ処理能力や電極材料の急速な発達により,より人間の意図を正確かつ簡易に反映するウェアラブルロボットの実用化が現実のものとなってきている.

表面筋電位を入力信号としたシステムを,本態性振戦患者の動作支援に適応する場合,「取得された表面筋電位の信号から振戦による情報成分を分離し,装着者の意図する姿勢を正確に読み取る」技術が必要となる.ただし振戦情報成分の分離において,表面筋電位は従来の信号処理技術が適応困難な二つの特徴を有している.一つは情報の混信が乗算的に行われる点である.伝統的なバンドストップフィルタ(BSF)等は,複数の情報がそれぞれ異なる周波数成分を持ち,それが加算的に混信している場合は大きな効力を発揮するが,乗算的な混信を分離することはできない.二つ目は振戦情報成分の大きさが短い間隔で変化していく点である.乗算性ノイズに対する信号処理は主に音声認識の分野で研究開発が進められており,ケプストラム平均正規化法などが代表例として挙げられるが,これらは混信している情報成分がほとんど変化しないことが前提となっている.情報成分が変化する場合の適応制御なども提案されているが,ウェアラブルロボットの制御に組み込むだけの応答性が得られない.そこで,乗算的に混信した情報成分を推定する,応答性の高い信号処理手法の開発が望まれる.

本研究では,本態性振戦患者の上肢動作を対象として,表面筋電位から振戦情報成分を分離し,使用者の意図する姿勢を推定することを技術課題とする.特に,(1)振戦の影響によって姿勢保持時にロボットが動作する誤認識が起こらないこと,(2)追従誤差の影響によりロボット装具から使用者が外力を受け,意図が変化しないこと,この2つを開発するシステムの要求仕様として設定した.これらを解決するためにまず,本態性振戦患者の肘関節動作と表面筋電位信号の解析し,振戦発生時の筋電波形を基底波に近似することで特徴付けを行った.その後,基底波との類似度を基準とした振戦情報成分の分離アルゴリズムを構築し,これを用いた肘関節屈曲動作認識率の評価を行った.最後に,上肢運動モデルに基づく肘関節角度推定を行い,これを実装したロボット肘装具の動作支援を評価した.